そして 齊平展に 見学に 行きました。
その時 真鍋井蛙先生及び お弟子様達の 作品を 拝見してこの 印社 の 教室に 入会しようと 決めました。 最初は 西梅田に ありました。生徒さんは 少なかったので 真鍋先生に 直接 指導して頂くのに 多く時間が ありとても 嬉しく その後 毎月 1回 教室に 通いました。 私は 独学で それなりに 篆刻印の 石を 彫る事は 出来て いましたが、古典芸術の 篆刻印の 制作 、彫り方は 全く違うものでした。 この 教室でした、 やり始め 真鍋先生からは 矢持さんの 「彫り方は 通用しない 」と 長く言われてきました。

その後、教室の 先生 の 隣で「 墨当番 」で「 黒と朱 」の 墨をすり 続け、先生 の 篆刻刃( てんこく とう ) の 刃物の 「 彫り方」を 隣で 見ながら 技を 磨きました。日本篆刻展も 初年度から 秀作賞 が二回 そして3年目の 2016年は 特選に なり 現在「 委員 」と なっております。
   


古典芸術の 美術展は メジャー美術展は、 日展、東京読売展 日本書芸院展 、 全関西展( 元大阪市展)が 我々の 印社が 出展している、ものです。私も 当初から、全関西展も出展して 初年度から 入選が 続いて います。 東京読売展も 入選に なって います。 日本書芸院展も 最初は 二科員推薦賞と なり、 2017年春には 一科員推薦賞 と なって おります。 日展に 於いても 2015年 から 出展し始め 今まで 二回出展 しております。2017年 秋にも 出展します。

書道は 小学生の 4年~6年まで ふるさとの お寺の 習字教室で 習いました。 当時は 段級は 最高 5段でした。小学5年には 5段に なっていました。 農協の 共催の 書道展では 金賞に なってました。 その後 中学、高校、大学は 野球、音楽、又 仕事に忙しく 「 書道 」は 時々しか 書く事が 無かったです。それでも、20歳代の 頃から 色紙などには 「 言葉 」 や 「 自分 の 詩 」などを 「 自分 の 字 」で 書いていました。その後 時は 過ぎて 30歳の 頃に「 相田みつを 」と 言う 書家の 作品を 目にするようになりました。 「 自分の 言葉、詩を 自分の 字で書く 」 その後 私は 結婚して 仕事が 忙しく 書道とは、少し 離れ達の事が ありましたが 、色紙を 書くような機会が あり、 その後 標準色紙を 書いては 人に 差し上げてました。

神戸に 移りすみ ふるさと の 整形外科で 兵庫、篠山市展の 美術展の ポスターを 見ました。「 築城 400年」が 「 テーマ 」でした。 私は 神戸に 帰宅中に 「 丹波 篠山 」の 題名 の 「 詩 」を 車中で 作りました。 そして、 「 自分の 字で 作品 」を作りました。そして 美術展 「 初入選 」 に なりました。 とても 、嬉しく 、翌年の 年賀状には 写真を 作品部 貼り付け ました。

その後、兵庫県内の 地方美術展や、兵庫県展にも 出展し 入選、入賞 を 受賞しました。2012年兵庫県展 「 四季の 花 50 」は 第50回記念のみの全ての ジャンルが 出品できる 「 異種格闘戦 」で あり古典芸術 の 「 書と 篆刻」と 「 棟方志巧」の 裏彩色 を 取り入れた 作品は 「 入賞 佳作 」と なり、兵庫県旧県立美術館 「 原田の 森ギャラリー 」の 二階 大ホールの入り口 に 展示 されました。

私は 美術展に 篠山市展で 入選と なり 地方美術展に 、出展を 重ね、 次第に メジャー美術展にも 出展するように なりました。 独学の頃 の 全関西展 など、大阪、天王寺 の 大阪市立美術館は 昔は 夢 の ようなものでしたが、現在は普通 に 出展して 展示と なって おります。地方美術展 、メジャー美術展 は これまで、入選、入賞 40回近くになって おります。2016年 当初より 地方美術展は、 近所の 三田美術展 位に 出展と してます。 現在は メジャー美術展を 主に出展してます。

今後は 作品工房 「 秀峰庵 」矢持秀峰 の 篆刻印書作品を 紹介 、販売して行きます。
よろしくお願い申し上げます 。

篆刻製作動画